あなたは語ることを職業としてるんでしょう、と彼女は言った。その通りだった。私はただ語ることによって生計を立てている。彼女は私が語れなくなったことを責めるのでもなく、慰めと転職を提案するわけでもなく、ただこう言った。
あなたは語ることを職業としてるんでしょう。あなたの言葉を待っている人がいるのなら、何とかして語りなさい。それがあなたがこれまで歩んできた道で、これからも歩む道よ。
大切な人を亡くしたんだ、と彼はぼくに言った。僕よりも二回り以上年老いた男性だった。彼は慎重に言葉を選ぶようにして、何度か口を開いては閉じた。ぼくはただ彼の手が掴んだカップに入った珈琲が小刻みに揺れるのを見ていた。彼の唇が目線の端に入る。彼はぼくの沈黙を肯定と捉えたようにすまない、とつぶやいた。
彼が語る言葉は壇上ではよく響いた。多くの人を感動させ、多くの人の悩みを解決させ、端的に言って多くの人を救った。一部では彼の言葉を聖書に並ぶ神の言葉だという人もいた。それだけ彼の言葉には力があったし、多くの人がその声を求めて各地から集まった。
しかし彼は今、その職を一時的に退いてぼくの前にいる。その理由は何よりも簡単だった。語れなくなった。彼はそう言った。原因は思いつく限りの事をあげることはできるが、きっと大切な人が亡くなったことが一番大きいだろうという事だった。
きっと君は私が何を求めているのかわからないことだろう、と彼は言った。何故なら私自身もそれがわからないんだ。
ここの珈琲は美味いですよ、とぼくは言った。彼が言った通り、彼にかける一番いい言葉を見つけることは出来なかった。一口、飲んでみてください。
ああ、と彼は言って、ゆっくりと珈琲の入ったカップを握り直した。いつの間にか固く握りしめていた指が赤くなっている。静かに一口珈琲を口に含み、美味いよ、と彼は言った。
まったくの皮肉だった。まるでこれは神様からの罰みたいなものだった。救いを与えるのは神だけでいいのだと、神に傲慢と判断されたために彼の唇から言葉が奪い去られてしまったかのようだった。私の耳には彼女の言葉が今も響いているんだ、と彼は言った。私にとって彼女が神だったのかもしれないし、あるいは死神だったのかもしれない。
神は死んだ。ある哲学者が言ったあの言葉は、神を探し求めたが故の言葉だった。神は死んだ。殺されたのだ。我々が神を殺したのだ。狂気の人は叫ぶ。神に出会う場所とされていた教会の中で叫ぶ。ここは神の墓標にすぎないのだと。
神は死んだ、と彼は言った。彼女と出会った場所は教会だった。彼女が私に語れというから語ったし、救えというから救ったのだ。私には力などない。全ては彼女が力であり、いのちであり、言葉であり、神だった。だから今、私は言葉を失っているのだと思う。誰を救うこともできず、誰も力づけることができない、そんな私のどこに意味があるというんだ。
初めから言葉には意味などないのだとぼくは思う。きっとそのことは誰もが知っている。意味を持たせることは出来ても、言葉そのものには意味がないからだ。しかるべき時にしかるべき人に伝わったとき、それは意味を持ち、力を得るのだ。だからこそ今ここに満ちている言葉は受け取り手のいない花束みたいにただ萎れていくだけだった。
ぼくは黙ってそれを聞いていた。彼にとってその花束は、きっと彼女に対する葬送なのだ。彼を縛る彼女の言葉の故に、彼は言葉を亡くした。彼は母を亡くした子どものように泣きじゃくっている。僕は目を伏せる。
今まで何人かの人がぼくにこうして相談を持ちかけてきた。そしてぼくはぼくなりに答えを返し、彼らは答えを見つけて帰っていった。今、彼に何の言葉も返すことの出来ないぼくは、まるで立場が逆転していた。花束は彼女に向けられていて、ぼくは風にとばされたその一輪を手に取っただけだったのだ。
その一輪がぼくに語ったのは、言葉を与えることだけが解決の道じゃないということだった。それはとてつもなく無力な道で、他者の途方もない絶望のうちに留まることだった。
彼は叫ぶ。神などいないと。それでも確かに彼の言葉によって誰かは救われてきたし、救っていくだろう。彼の隣に佇むぼくが花束の一輪を手にすることが出来たように。その言葉のなかに彼女は生きているのだから。
ぼくは彼に言う。語ってください。あなたの言葉は誰かを救ってきたかもしれない。けれどまだ、世界でたった一人だけ、あなたがその言葉をかけていない人がいるじゃないですか。だからあなたは語るべきだ。あなた自身の言葉で、あなた自身に語るべきだ。あなたの言葉は、まだ死んでなんかいないんだから。