その日はとても寒い雪の日だったのを、私は覚えている。
音もなく降り積もる真っ白な夜に、私は彼に抱かれたのだ。
それは彼が私の親友と付き合い始めてから、三ヶ月が経つ数日前の出来事だった。
いけないんだよ、と私は言う。好きな人がいるのに、こんなことしちゃ。彼はまるで赤子のように私の乳房を揉みしだいて、今にも泣きそうな表情でその頂点を吸った。私は胸に埋もれた彼の頭をそっと撫でて、大丈夫、私はここにいるよ、と囁く。
彼の目には何も映ってはいなかった。ただ何も考えないようにすることだけを必死に成し遂げようとしているみたいだった。
話してごらん、と私は言う。彼はどこにも焦点のあっていない目でこちらを向いて言う。彼女が他の男と歩いているのを、街で見かけたんだ。
そう、と私は答える。十中八九それがどうしてなのかを確信しながら、けれど私はそれを彼に伝えない。それで、君も同じことをしようとしてるんだ。彼は首を振る。身体を離して、ベッドの上に向かい合うようにして座る。胸から離れていった熱を名残惜しく感じながら、私は先を促した。君は彼女の親友だから、何か知っていると思って──彼はそう言って俯く。
あなたは馬鹿だわ、と私は言い、彼の胸元に擦り寄る。そんなこと、少し考えればわかることでしょう。それでもあなたは本当に彼女のことを好きだと言えるのかしら。
何も言わない彼の唇をそっとふさいで、舌で口腔をまさぐる。窓の外から響いてくる遠いクラクションと隠微な水音だけが部屋に満ちる。抵抗しないまま彼はベッドに埋もれて、離れた唇からは唾液が糸を引く。私は絡みつくようにその頬を撫でながら彼に問いかける。あなたは本当に、彼女のことを信じているの?
体温は上がってゆく。獣のように服は剥ぎ取られ、彼をなだめるように抱きしめる。それは到底理性というものを捨て去った時間だった。嬌声が恥ずかしげもなく口から漏れる。内臓を丸ごと突き上げられる快感を受け止めながら、世界の全ての苦しみを背負ってしまったかのような彼の苦悶の表情を見下ろすと口の端が自然と持ち上がる。彼が薄く目を開いたその先にあったのは、私のそういう顔だったのだと思う。
全てを包み込む聖母のようで、全てを奪い取る悪魔のようだったと。
彼はのちに私の事をそう言い、私は多分そのどっちも正解、と冗談のように笑いながら答えた。
彼のものを根元まで飲み込めるように背筋を伸ばして、私はのけぞるようにして絶頂を迎えた。自分の中でそれが膨らんで、じんわりとした熱が下腹部に広がってゆくのを感じながら、その脈動が止まってしまうまで私は彼とつながっていた。その一瞬とも永遠とも言えるであろうその時間は熱と共に過ぎ去ってゆき、そして彼はそのまま気を失うように眠りへ落ちる。
その瞳に一筋だけ伝った涙を私は舌で拭って、彼の胸元に倒れこむ。ずるりと硬さを失ったものが自分の中から滑り落ち、熱を持った白濁が垂れ落ちるのを感じながら、私は彼の手に指を絡ませて、目を閉じた。
窓の外で降り積もった雪が黒く滲んでゆく夢を、見たような気がする。
数日経ってから、不安だからついてきて、と親友に言われて、私は彼女と共に彼のところへ行くことになった。彼女の手には可愛らしくラッピングされた袋が握られていて、かすかにその手は震えていた。最近ね、あんまり話す時間が取れなくなっちゃってて、不安なの、と彼女は苦笑を交えて私に言う。でもね、彼女持ちの友達にアドバイスもらって選んだものだから、大丈夫だと思うんだ。
呼び出した待ち合わせ場所に着いた時には既に彼は佇んでいて、マフラーに唇を埋めていた。吐いた息が一瞬だけ彼の眼鏡を曇らせて、すぐに消える。
彼女が彼の名前を呼び、彼がこちらを向いてぎこちなく笑う。正しくて純粋で、真っ直ぐな恋愛のあり方をとうに踏み外してしまったことを、世界の中で私と彼だけが知っている。彼女は無邪気な笑顔を浮かべながら、それを渡す。三ヶ月記念、おめでとう、と彼女は何も知らない笑顔でそう言って、彼は必死で純粋に喜ぶような仕草をしながらそれを開けるのを、私は一歩下がった場所で見ていた。彼が彼女を抱きしめた向こう側で目を合わせた彼の複雑な表情を、私はきっと忘れることができない。
多分私は、笑っていたのだと思う。
いつまでも三人一緒にいましょう、と。私は朝早くのベッドにうずくまる彼の耳元に囁いた。それはどうしようもなく彼を縛り付けることだとわかっていても、そう言わずにはいられなかった。あなたのしたことは間違いではなかったわ。あなたも、わたしも、互いに必要だと思っただけなの。ただ、なかった事にするというのなら、私にだって考えがあるわよ。
……ねえ、あなたは優しい人。あなたがこれからどうすればいいか、わかるわよね。