ラビたちの話はつまらない。
口を開けば罪だ罪だと繰り返すばかりでちっとも役に立ちやしない。そうやって罪に定めては神殿に人々を集めたいんだろうとしか思えない。ラビが人を罪に定め、その罪を償い和解の儀式のために羊や牛が売れる。売れた羊や牛は祭壇で焼かれて祭司の仕事と食事が増える。その焼かれた肉を求めて神殿の周りに物乞いが集まってくれば、またラビたちがそれをダシに「彼らは前世の罪を償うために今苦しみを受けている──悔い改めよ」などと仰々しくのたまう。たいしたマッチポンプだ。
イスラエル王国はかつて二つに分かれていたらしい。北イスラエル王国と南のユダ王国だ。ダビデ王の息子ソロモンの手腕が至らず後継者争いでもめたらしい。ダビデ、ソロモンといえばこの国が一番栄えていた時期だ。いうなれば、一番平和だった時期だと言えるかもしれない。それが落ち目になった途端に人は争いを起こす。
──なら、今のわたしたちに必要なのは、金だ。
安息日、会堂 に集まった大勢の人々の中でそんなことを考えているのはわたしだけではないだろう。会堂内になおもラビの説教が続いている。しかしあいつらは神への悔い改めを説きながら金のことしか考えていないに違いない。
そう、金だ。金さえあればなんだって解決される。ローマ帝国がわたしたちを支配し重税を課しているのはわたしたちの力を恐れているからだ。金さえあれば。あんな帝国に虐げられることはなかった。わたしもこうして聞きたくもない悔い改めの呼びかけを聞かずともよかった。週に一度、欠かさず罪を贖う儀式などに身銭を切ることもなかっただろう。金。ああ、金さえあれば。
礼拝が終わる。聖書のみ言葉への賛美の祈りがささげられ、祝福の言葉が告げられる。神様、わたしたちを祝福してくれているのなら、せめてこんなわたしを今すぐ救ってくれ。
「ユダさん」
帰り際にラビの一人に声をかけられる。アリマタヤのヨセフだった。金持ちで、最高法院 の中でもそれなりに高い地位にいる人だった。普通なら関わり合いたくない部類の人間なのだが、こんなわたしにも気にかけてくれる善良な人である。
「こんにちは、ヨセフさん」
「最近困ったことはありませんか?」
「ありがとうございます。……ご存知の通り、ウチの頭 が突然『徴税人をやめる』と宣言しまして。自分の意志で辞められるものではないのですが……今はその対応で苦慮しているところです」
「それは……お察しします」
徴税人の仕事は、文字通りローマ帝国から課せられる重税を同胞たちから徴収する仕事だ。給料はない。じゃあどこから自分の収入を得るかというと、帝国に上納する税金に自分の収入分を上乗せして徴収するしかない。そうせざるを得ない徴税人の仕事は、周りの同胞たちから憎まれている。できることなら辞めたいと誰もが思う仕事だ。だがその仕事から逃れようとすれば、帝国への反逆罪として、最高法院を通じて報告されてしまう。
ユダの上司──徴税人の頭であったザアカイはその点すがすがしいほど振り切った人だった。
この仕事はわりにあわねえ、ちいっとくらいはうまい汁がないと人は生きていけねえもんだ。だが見てみろよ、あの同胞たちの目をよ。俺たちを帝国の手先だとばかり思ってやがる。俺たちだって生きるのに精いっぱいなことをわかっちゃいないんだ。まったく、俺だって好きでこんな仕事を選んだわけじゃねえ、それはお前たちだってそうだ! 出来ることなら断りてえよな? でもできねえんだよそんなことは、不可能なんだ、だったらよお、ちいっとくらいはうまい汁がないと生きていけねえって考えるのは、罪じゃねえよな──あれだけ散々帝国にすり寄っておきながら、舌の根の乾かぬ内に彼は反逆者になってしまった。先日から最高法院の方からはひっきりなしに文句が飛んでくるし、その理由はわかっている。ナザレのイエスとかいう、詐欺師である。
あのイエスとかいう男が、カシラをそそのかしたんだ、と先日から収税所ではひっきりなしに話題が飛び交っていた。聞くところによると、あのイエスがザアカイの家に泊まりたい、と申し出たのだそうだ。
ユダヤでは信用が命だ。誰か別の人と食事をするということ、ましてやその家に泊まるということは、「この人とわたしは懇ろな関係なのです」と人々に触れ回ることと同じだ。それなのに、皆に憎まれている徴税人、しかもその頭であるザアカイの家に自ら足を踏み入れるなんて、正気の沙汰とは思えない。
「きっとイエスはお金に困っていたんですよ。だからあんな人がたくさんいるところで、カシラに声なんかかけるはずがない」
つまりはパフォーマンスだったとわたしは見ている。そのあとはちょっくら奇跡を起こして驚かせて、金を無心したに違いない。でなければ、あんなにお金を腹にため込んだような彼が、突然「財産の半分を貧しい人に寄付します、だまし取っていったら四倍にして返します」だなんて言い出すはずがないのだ。きっとそのお金はめぐりめぐって、どういうルートかはわからないがイエスの手元に戻ってくるのだろう。
「本当にそうなんでしょうか」
曖昧な笑顔を浮かべながら、ヨセフは言う。そうだ、ともそうではない、ともつかないような響きで。
「そうであれば、ザアカイさんに利となることは何もないように思いますけどね」
「きっと弟子になればその分け前が戻って来るんですよ。それに、何故か最高法院はイエスを警戒している。反逆者を匿う理由なんて、何か利益があるからとしか思えませんね」
だからこちらにお鉢が回ってくるわけだ。もう仕事場から姿を消した人のことなど気にしてはいられない。だからこれは単なる愚痴だ。
そう、愚痴で終わればよかったのだ。
「それじゃあ、会ってみませんか」
「え?」
「来週の安息日、彼が話すというのが話題に上がっていまして。もしよければ、あなたも見極めに来ませんか」
あのイエスが。会堂で話す。このエルサレムに来てからは良くも悪くも話題に上がるあの詐欺師が、神のみ前で話をする。
「見極めに」
「そう、見極めに。……どうです?」
ヨセフの目がじっとこちらのほうを見つめてくる。こちらを探るような目とほんの少しの期待。
気にならないと言えば噓になる。なら、真実を確かめに行ってもいいだろう。誰のせいでこんなに苦労することになったのか、それにふさわしい人物であるのかを見極めるのも悪くない。
「まあ、安息日ですから」
わたしは出来る限りそっけなくそう答え、ヨセフに別れを告げる。
ナザレのイエス。口々に人々がその名を挙げる、彼が。どんな話をするのだろうか。いったいどんな人物なのかと夢想しつつ、家へと向かう足取りは、朝向かった時よりも少しだけ浮足立っていた。