「はァ?!」
これまでのシモンの話をまるで聞いていなかったかのようなイエスの提案に、あまりにも失礼な反応をしてしまった。
──今しがた、騙されてお金を巻き上げられそうになった話をしたばかりなのに。
「そろそろ、行ってもいい頃合いだろう」
と、イエスはわたしの反応を意に介さず、柔らかな笑みを浮かべながら歩き出した。行ってもいい頃合い? そんなはずはない。シモンと二人で町に入った途端に投げかけられたあの不躾な視線をわたしは思い出す。あれはきっと旅人をだまくらかして根こそぎ奪ってやろうという飢えた獣のような目だった。きっとわたしたちが町に泊まるとなれば、知らん顔でぼったくってくるに違いない。わたしが目を光らせておかなければ。
わたしが内心そう意気込んでいると、イエスはわたしに向かって言った。
「ユダ。しっかり見ておきなさい」
「……何をですか?」
「彼らがあなたの目にはどのような人間に映るか、ということを」
そんなの、決まっている。彼らはユダヤ人を憎んでいる、自分たちが生きるためなら敵国の人間とも交わるような異邦人たちだ。わたしたちが困るようなことなら、何でもするだろう。騙し、唆し、盗み、奪うだろう。どうしてそんなわかりきったことをイエスは言うのか、わたしにはわからなかった。
シカルの町に着くと、町の中心部にある広場が大勢の人でにぎわっていた。どうやら中心で誰かが熱心に話をしているらしい。女性の声がする。
「私は聞いたのです。私が行ったことをすべて、彼は言い当てました。先ほど初めて会ったにもかかわらず、私の素性のすべてを、たちまち明らかにしたのです」
──あの女性だ。
遠目に見える顔を一目見ただけで、すぐにわかった。わたしがシモンと町を出ようとしたとき、希望に満ちた表情で通り過ぎた、あの女性だ。
「わたしにはかつて五人の夫がいました。しかし、その全員が亡くなりました。子どももできませんでした」
聖書の律法には、通称「レビラート婚」という決まりがある。家名の存続のため、子をもうけずに夫と死別した妻は、夫の兄弟に嫁ぐ義務があるのだ。
彼女もそうだったのかもしれない。しかし5人もの夫と結婚し、なおかつ彼女以外の夫が死んだという状況からすれば、前世の報いか、呪いの疑いをかけられても仕方がない。
「今お世話になっている方は夫ではありません」
そんな彼女を引きとる者などほとんどいなかったのだろう。良くて召使いか、情婦か。どちらにせよ、肩身の狭い立場に置かれることは避けられなかったに違いない。
「皆さんもご存じの通り、お世話になっている方を悪く言うことはできません。しかしわたしは、ずっと息が苦しかった。私には子どもができませんでした。それが私の価値を決めていました。そしてもう誰一人、私に価値を与えてくれる人はいなくなってしまった」
息子が一人でもいれば、レビラート婚はしなくてもよいのだ。たとえ夫がいなくても、家名はその子が継いでくれる。しかしもはや彼女はその未来を手にすることができなくなってしまった。
ただ、生きるためだけに──死なないようにするためだけに。
夫でもない男性に囲われながら。彼女は毎日を過ごしていたのだ。
「私は死んでいました。夫を五人も亡くし、子どもももうけることができず、何一つ人様の役になど立てない私の、この息を早く止めてほしいと神に願うばかりの毎日でした。でも」
俯きながら話していた彼女が顔を上げる。頬が紅潮し、目に涙をいっぱいにためて、彼女は言う。
「神は私に応えてくださいました。井戸に水を汲みにきた私の罪の全てを明らかにされました。しかしそれでも、『永遠の命に至る水』を与える──私を本当に救ってくださるお方に、出会わせてくださいました」
彼女がこちらを向く。わたしの隣に彼女の視線がまっすぐに注がれている。イエスは町へ向かったその時と同じ、やさしい微笑みを崩すことなく、彼女の目線を受け止めた。
「その方が、今ここにおられます。彼こそ、わたしたちが待ち望んだ、救い主かもしれません」
その言葉に、町中の人々の目がこちらに向く。
イエスはよく通る声で人々に応えた。
「──聞く耳のあるものは聞きなさい。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
イエスの周りに大勢の人が詰めかけ、イエスが朗々と語るのを聞きながら、わたしは先程の彼女のことを考えていた。
わたしとすれ違ったあの時、希望に満ちたあの表情からは思いもよらない現実の中に、これまで彼女は捨て置かれていたのだ。それは、このサマリアの地の人々がユダヤ人から向けられていた差別を、同じように彼女はサマリアの同胞たちから受けていたということにほかならない。
この世での不幸や病は、その人自身の行いに対する神の罰だと思われている。それは現世だけでなく、前世から引き継いだものも含まれる。五人もの夫に先立たれた彼女に向けられた視線。相当な業を持つ女と見られていたことだろう。あるいは夫を呪い殺した女、という疑いさえかけられていたかもしれない。未亡人でありながら、夫の実家の財産を実質的に我が物にしようとする強欲はありふれたものだ。
しかし今や彼女は夫でない人と共にいる。きっとイエスはその一点から、彼女がそのような強欲な者ではないことを見抜いたのだ。呪い殺すほどの魔術に手を染めているわけでもなく、誰にもわからない前世の罪にその理由を求めることもしなかった──あるいはイエスにはわかっていたのか。どちらにせよ、彼女は理由のない不幸に苛まれていた憐れな人間の一人に過ぎなかったことが、イエスの宣言によって明らかされたのだ。
シカルの町にいた誰もが、イエスと同じように彼女を見ることができた。しかし誰もそうしなかったのだ。偏見と差別によって彼女を虐げることが、ユダヤ人からの差別という抑圧に苛まれている彼らには必要だったのかもしれない。
イエスの話が一段落したところで、見覚えのある男性に支えられながら一人の女性が進み出て、言った。
「イエス様、あなたは病をお癒やしになる力をお持ちだと風の噂に聞きました。もし、おできになるなら、わたしの目を見えるようにしてください」
「『おできになるなら』と言うか。神にできないことなど何一つない」
イエスは彼女の目に手のひらをかぶせるようにして、祈りの言葉を唱える。
「信じなさい。あなたの目は開かれる」
彼女の目から、涙が頬を伝う。感極まった嗚咽の合間に、彼女は言った。
「ああ……ああ、主よ、信じます」
イエスが手を外すと、彼女は先程まで自分を支えていた男性を見つけ、しっかりとその姿を確認して抱き合った。──そうだ。あれは、あの雑貨屋の店主だ。
「妻の目を癒やしてくださり、ありがとうございます、イエス様」
雑貨屋の店主がイエスに礼を言うと、イエスはじっと二人を見つめ、言った。
「安心して行きなさい。これからは、奪うものでなく、施す者になりなさい」
その言葉を聞いた店主が、イエスの隣りに立っていたわたしとシモンの姿を見つけ、彼はハッとした表情になる。そして、イエスの言葉を噛みしめるようにして、イエスの前に跪いた。
「主よ、彼らがあなたの弟子だと知っていたら、決して罪を犯すことはなかったでしょう」
そのように言う店主の前に、イエスも片膝をつき、店主の肩に手を置いて言った。
「子よ、そのように思う心が、あなたを罪へと唆したのだ。気をつけなさい。あなたの全ての行いが、あなたの礼拝となるのだから」
彼の目に、涙が溢れる。彼は黙ってイエスの前に頭を垂れた。
イエスの宣言したとおりに、わたしたちはシカルの町に泊まることができた。わたしたちから余計に手数料を上乗せしようとしたあの店主が、イエスとわたしたちを快く迎え入れたからだった。
「イエス様。町の者は皆、あなたに感謝をしております。どうぞ遠慮なくお召し上がりください」
あのときのような粗雑さもなく、まるでつきものが落ちたかのような落ち着きようだった。視力の回復した彼の妻が腕をふるって作ったであろう料理がどんどん運ばれてくる。こうも人は変わるものかと、驚く以上に困惑さえする。
「長らく妻は視力を失っておりました。この町のどの医者も治すことができず、何であろうと効果があると聞くものは全て試しましたが、財産もほとんど尽きてしまい、途方に暮れておりました」
本当に感謝をいたします、と店主は改めて礼を告げた。イエスは彼の肩を優しく叩き、微笑む。さあ、どうぞと店主は食事を勧め、自ら末席へと移動していった。
割り切れない思いを抱えながら彼の姿を目で追っていたわたしに、イエスは声をかける。
「どうだね、ユダ。あなたには、彼がどのような人間に見えるだろうか」
「どのような……」
どのような、人間か。
彼は確かに、わたしたちを騙し、金を余分に奪おうとした。きっとそれはわたしたちだけにしていたことではないだろう。他のユダヤ人たちに対しても同様だったに違いない。それは、ユダヤ人から向けられた差別への報復のためだと思っていた。しかし、彼にも金を集めなければならない理由があったのだ。
愛する家族の、不治の病をどうにかして癒やすために。
「あなたがあの人だったなら、どうするかね」
イエスはあくまでやさしく、わたしに問いかける。わたしの心はその答えにはたどり着きたくないという気持ちでいっぱいになる。
「……同じことを、する……かもしれません」
多くの徴税人達を見てきた。悪意に満ち、同胞から金を巻き上げ、私腹を肥やすものがほとんどだった。しかしそれは、決して好きでやっていたのではない。同胞からの差別的な視線を耐えしのぐために、自ら悪に踏み込んでいた面もあったのだ。
誰もがまっとうに生きれれば、と願う。しかし様々な原因があって、しかもそれは自分にはどうしようもできない周りからのプレッシャーや、逃れることのできない理由のために、望まぬ道を歩まざるを得ないことがあるのだ。それをわたしは知っている。
そう、知っている。だから。
「彼らもわたしたちと同じ、というのですか? サマリア人と……わたしたちユダヤ人が」
イエスはわたしの言葉に肯定も否定もしない。ただ静かに、目を細めながら、それぞれに談笑をする弟子たちと、まるでサマリアとユダヤという壁が初めからなかったかのように彼らと話す、店主を見つめている。
わたしはあのサマリアの女性のことを思い出す。彼女もまた、差別という抑圧の中にあった。しかもそれは、ユダヤから、そしてサマリアの同胞からによる、二重の抑圧だった。
わたしがもし、あの場にいたら。
わたしがもし、サマリアの民であったら。
わたしがもし、このお方だったら。
わたしは偏見も差別もなく、彼女自身を見つめられただろうか。
イエスは柔らかな声で、つぶやくように言う。
「わたしの父は、路傍の石からでさえアブラハムを造り出すことがおできになる。そうであるなら、目の前に迷う羊を、どうして囲いの中に迎え入れずにいられようか」
必要なことはすべて行う、とイエスはサマリアの地に入られる時に言われたことを、わたしは思い出した。その時、わたしの身体に雷が落ちたかのように、衝撃が走る。
もしかしてこのお方は、すべて見通していたのか?
シモンが店主に騙されそうになることも、わたしがそれを見抜くことも、サマリアの女性が救いの証しをすることも、妻の病を癒やしたことで、店主が改心することも──
そのすべてを見ていた、わたしの──差別の心も?
そのことに気づくと同時に、かっと頬が熱くなるのを感じる。わたしが目をそらそうとする前にイエスはわたしの方を振り向いて、あの見透かすような目でわたしを見つめ、言った。
「あなたは聡明だ。しかし気をつけなさい。悪魔は忍び寄り、あなたを唆すだろう。その時こそ、悔い改めなさい」
この人は一体何を見ているのだろう。
慈愛と赦しに満ちたあの目は、たしかにわたしを赦し、わたしを救った。しかしあのときだけではない。このお方は、わたしの心の奥底にある何かを見ている。わたしでさえ触れたことのない何かを。わたしが知らない、ずっと先の何かを。
──見てみたい。
この人が見ている、その先に何があるのかを。
わたしも見てみたい。